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■感動ポルノとしての貧困 問題提起から解決事例へ


 ここ十年間、ずっと「なぜだろう?」と不思議でたまらないことがある。
 それは、現代日本の貧困のルポ本で、貧困から立ち上がる方法を教えないまま人気をとっていることだ。
 これは、特定の書き手だけでなく、新聞やテレビのニュース報道にもいえる。
 貧困がどれだけ深刻なのかを報じるだけで、貧困からどう立ち上がればいいのかは伝えない。
 おかしいとは思わないか?

 1997年、僕は公募手紙集『日本一醜い親への手紙』という本を企画・編集した。
 これは、親から虐待されたことのある人に、その経験記を「親への手紙」という体裁で書いてもらい、公募したものだ。
 その際、1冊に100名の応募者の原稿を収録した。
 出版社からは、原稿が採用された100名全員に謝礼を支払った。
 それでもごく一部の人は、「他人の原稿でメシを食っている」と僕を批判した。

 公募手紙集というコンセプトの本を作るのは僕が初めてではないし、100人分の謝礼を払うというのも出版ビジネスの習慣上、画期的なことだったが、僕は批判には一理あると感じていた。
 どんな苦しみも、それを負った当事者自身が蓄積してきた固有の資産だからだ。
 苦しんできた人自身には、それに見合うだけの対価を得られる仕組みが必要で、出版社が払う謝礼額面がその対価に見合わないという点はうなづけたのだ。

 もっとも、素人の文章そのままでは商品価値に乏しく、編集者の手によって読みやすく修正・加工したものを本屋に並べるのが、出版ビジネスというものだ。
 どんな有名作家の文章であろうと、その原稿を真っ先に読む編集者が手を入れてこそ、商品価値が担保される。
 その点では、編集者が仕事する大義はあるし、編集者への対価が守られることも大事なことだ。

 ただし、本を出版する際も、テレビ番組を制作する際も、苦しみを背負った人の価値に正当な対価を支払うという習慣はなく、それゆえに取材謝礼を必ず用意するということを、出版社やテレビ局の経営者は考えていない。
 それどころか、本や雑誌が売れず、テレビ視聴者も減ってきた今日では、取材経費そのものがカットされるため、取材謝礼を出す余裕が制作現場にはない。

 それでも、苦しみを背負ってきた人だからこそ語れる(書ける)内容は、その人自身が売りに出せる資産であることは変わらない。
 その人が本に書いたり、歌詞に込めたり、講演で話す機会を作れば、現金化できるものだ。

 そうした当事者固有の価値に気づくことを1つのきっかけにして、15年ほど続けていた自殺や児童虐待、家出などの取材をメインの仕事から外すことにした。

 そして、10年ほど前から、問題提起の報道ではなく、解決事例を豊富に紹介する取材へと仕事の方向性を変えた。
 その頃、貧困や障害、子育てと仕事の両立など、さまざまな社会的課題に対して、画期的な解決の仕組みを作り出している社会起業家のソーシャルビジネスが一部で注目を集め始めていたからだ。

 なぜ、ソーシャルビジネスに僕が関心を持ったのかといえば、自殺未遂者への取材を繰り返している時、彼らの話を満足に聞とうとするだけで時間を奪われ、自腹で払う取材経費が飛んでいき、同時に体力も失うことを思い知ったからだ。

 苦しんでいる当事者の声を大事にすればするほど、そこに向き合う人が困窮化するなんて、おかしなことだ。
 だからこそ、仕事としてお金が回る活動にしていく必要があり、それを実証して見せていたのが社会起業家だった。

 苦しんでる人に向き合ったことがない人は、「人の話を聞くなんてボランティアでやれ」など勘違いをしがちだ。
 実際に、1日に何でも電話で相談され、時には初対面の人に何人も会うことになり、寝ている時でも「死にそうなんです」と暗い声を聞く暮らしを10年以上、続けてみてほしい。
 ボランティアでできるか?
 それとも、裕福になってからやればいいと?

 その時、目の前の苦しさを持て余した人は、亡くなっているかもしれない。
 それを「運命だから仕方ない」で済ませられるか?
 取材をきっかけに友人づきあいをしていた自殺常習者の葬式に出てから、僕はそんな言葉を信じなくなった。
 当事者が満足するまでじっくり話を聞くだけでも、とんでもなく大変なことなのだ。
 それが理解できるなら、ボランティアではとても続けられないことにもピンとくるだろう。


●まず解決事例を探せ。なければ当事者主体で作ろう

 ここまで理解できたなら、苦しんでる人たちから聞いた話を、深刻な部分だけクローズアップして「感動ポルノ」に仕立てあげて注目させる報道の仕方も、販売促進のための戦略以上の意味がないことにも思い当たろう。

 僕自身、児童虐待を受けた人の手紙集を作った後は、いつでも10代が虐待から避難できるように『完全家出マニュアル』を発表し、続いて連帯保証人が不要で入居できるシェアハウスについて日本で初めての本『ゲストハウスに住もう!』を書き下ろした。
 虐待から避難したい人には、避難できる方法を具体的に教えればいい。
 実際に家出した人の経験談も収録したので、勇気を出して家出できた読者もいる。

 もっとも、一刻も早く自分を虐待する親から逃げ出したい人の一部には、僕の本は響いたかもしれないが、マイノリティ向けの市場向けだったので、本の売れ行きは芳しくなかった。

 それに、あまりにも長く苦しみ、すでに苦しみをこじらせてしまった人は、自分を救うアイテムや仕組みがよのなかにあることをゆめにも思わないし、希望を感じるということ自体が絵に描いた餅に見えてしまうのだ。

 「救われるより、ここにいたい」という心性が、体の内側にこびりついてしまっているのだろう。
 あるいは、「すぐに解決しなくてもさほど困らない」という認知のゆがみを常態化させてしまっているのかもしれない。
 いずれにせよ、誰だって精神的にも経済的にも余裕を失えば、社会のルールや良識などにかまけていられない。

 手持ちの1000円を使ってしまえば財布がカラになるとわかっていても、計画的にやりくりするつらい日々に耐えかねれば、「もう、どうにでもなれ!」と言わんばかりに、やけを起こして使ってしまうこともあるだろう。
 そもそも貧困は、そんな状況を解決する勇気を時に奪ってしまうものだからだ。

 高学歴→高所得で生活が安定している新聞社やテレビ局の正社員は、貧困を知らない。
 だから、視聴率や売上の数字さえ守れれば、それ以上の報道倫理など考えもしない。

 母子家庭で1000円ランチを食べていた女子高生の報道を観て、バッシングするのも、擁護するのも、貧困で多くの人を釣ってメシを食いたい「報じる側」の思惑に見事にはまっただけのこと。
 苦しみを背負っている当事者がどんなに深刻であろうと、そこにつけ込んでメシを食おうというあさましい仕事を平気で続けられる人たちがいるのだ。

 それが、「ふつうの報道」としてまかり通っている。
 だからこそ僕は、苦しんでいる当事者が「やっぱり自分はこの苦しみを終わらせたい。もう、自殺ばかり考える人生はたくさんだ!」と思えた時に、図書館の片隅で発見される本を書きたいと思った。

 自分の苦しみが自分の個人的な属性・能力によるものだという自己責任論を強いられて下を向いてしまった人たちに、「それは違う。社会の仕組みが悪いためにあなたは不当な扱いを受けているのだ」と言う必要があるはずだ。

 そして、社会の仕組みを変えるのは政治家ではなく、市民であり、民間の仕事としてさまざまな社会的課題を解決する社会起業家が増えている現実を知ってほしいと思った。

 反貧困デモが新聞に報じられて、あなたは貧困から抜け出せたか?
 自分より深刻な貧困生活を送る人のルポ本を読んで、あなたは貧困状態から少しはマシになったか?
 政治運動で仲良くなった仲間は、自分の所得をアップする仕事を手配してくれたか?

 社会問題の深刻さだけを報道するだけの記事や番組は、視聴率が取れたテレビ局の社員を喜ばせ、本が売れた出版社の社員をホクホクさせただけだ。

 深刻さを売る「感動ポルノ」は、結果的にそれを視聴する人を思考停止にさせ、問題の解決事例を探すことを動機づけない。
 あまりに重い話題は気が滅入り、考えたくなくなるからだ。

 現実にはどんな社会的課題にも画期的な解決事例が増えてるのに、問題に苦しむ理不尽さへの不満を訴える方が共感を集めやすく、いつまでも解決しない方が同じネタで延々と儲けられる人たちがいる。
 貧困ネタを書いても、幸せになるのは著者と出版社だけ。
 取材された側の貧困は、ちっとも変わらない。

 だから僕は、貧困を作る社会の仕組みを変えた社会起業家についての本を書き、印税からそうした団体に寄付してきた。
 深刻ぶるだけで現実の苦しみを一つも変えられない報道は、消費者・視聴者を解決の仕組みに対する関心からいつまでも遠ざけ、そのネタを発信する側しか満足させていない。

 でも、本当に僕らがほしいのは、今ここにある苦しみからどうやって抜け出せるのか、ではないか?
 少なくとも、格差の解消や国策による貧困者支援といった大きな物語なんて、貧困当事者は求めていないはずだ。

 たとえば、あなたが発達障害で失業しているなら、あなたに仕事をさせることを拒んでいる社会の仕組みを疑おう。
 そして、ありのままの自分でもできる仕事を作り出している社会起業家を探してみよう。

 近所にそうした社会起業団体がないなら、発達障害者の支援団体に声をかけ、「自分たちが楽しく無理なくやる気になれる仕事をみんなで作り出そう」と提案してみよう。
 その時、あなたが苦しんできた『当事者固有の価値』が役立つことに思い当たるはずだ。

 あなたが難民なら、ARUSHAの事例を知ろう。
 あなたがホームレスなら、大阪のNPO法人Homeoorでシェアサイクルの仕事を始めよう。
 あなたがどんな属性・能力でも、貧困から共に立ち上がるために仕事を作り出している社会起業家は続々と増えている。
 変わりつつある現実は、テレビや新聞を観てるだけでは気づけない。

 貧困ネタを読んだだけで金が入るなら、いくらでも読めばいい。
 感動ポルノをむさぼり続ければ、出版社やテレビ局の正社員の懐を温めるだけなんだぜ。

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