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■欠損BARから学ぶ「当事者固有の価値」の活かし方

 10月30日(金)の夜、新宿ゴールデン街の『ブッシュ・ド・ノエル』という店で飲もうと思ったら、すでに「予約満杯」で入れなかった。
 義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入」という記事を読み、関心を持ったのだが、すでにFacebookで1万人以上がシェアする人気の記事になっていたのだ。

 その記事の中で、「欠損女子」の当事者たちは、こう語っている。


「モデルになってイベントとかに出してもらうと、ファンの方もたくさんいることを知りました。
 正直に『いやらしい目で見てもいいですか?』と聞かれたこともありますよ。
 でも、ひとつの萌え要素としてそう思ってくれているんだから、全然平気。
 何をそういう目で見るかは個人の自由ですし。
 そもそも、欠損している私を認めてくださっていること自体が、嬉しいんです」

「はじめて映像の中で本来の自分を出し、そういうのがいいと言ってくれる人がいたってことにびっくり。
 喜んでくれる人がいるから、私って義足で良かったのかなって」

「面と向かって言う人がいるんですよ、『かわいそう』って。
 『何がかわいそうなの?』と聞くと、『手がないから。不便でしょ?』って。
 いやいや、健常者のあなたでも、不便でできないことはあるでしょう?
 『あなたが出来ないことを私ができることもあるし、お互い様じゃない』って言い返しちゃう」

「まずは私たちの存在を知ってもらいたかった。
 義手も義足も、メガネと変わらない、補助してもらっている感覚です。
 もうちょっと、皆の見方が変わったら嬉しいな」

 世間から一方的に「かわいそう」などのマイナス評価を与えられる当事者は少なくない。
 障がい者を障がい者にしているのは、当事者ではなく、健常者なのだ。

 健常者のように暮らせないことを「不便」にしたのは、健常者が健常者でなくなることを「不幸」と決めつけてきた健常者自身だ。
 それに気づく時、「かわいそう」というまなざしが、とても不遜で、無責任なものであることにも思い当たるだろう。

 健常者と比べて「不便」な体であろうと、その体の当事者にとっては、自分に必要な準備をするだけの話だ。
 「ふつうでない人」として「障がい者」という名称が生まれた経緯を思えば、「障がい者」という言葉を「健常者の意見しか聞かない人たちによって一方的に不当な不便を与えられている者」と読み直す時代が到来しつつあるように感じる。

 素顔に自信が無い人が「スッピンでは外出できない」と感じてメイク道具をそろえて念入りに化粧をするように、足が不便な人は義足をつけたり、車椅子に乗るなどの選択肢をいろいろ考える。
 平均身長よりはるかに高い背丈の人は、周囲から勝手に不安がられるのを避けるために努めて笑顔を振りまいてるし、医者から末期がんを宣告されても余命よりはるかに長生きしてるために変な気遣いを周囲にしなくていけないとトホホな思いをしてる人もいる。

 頭の出来が良いのに東大に入ったばかりに「東大生のくせに~」という枕詞で差別的なつきあいを強いられる人もいれば、学力も体力も優秀な「健康優良児」として表彰された小学生が周囲から「何でもできるスーパーマン」のような役割を期待されてつらくなることもある。

健常者のあなたでも、不便でできないことはあるでしょう?
 あなたが出来ないことを私ができることもあるし、お互い様じゃない」

 「ふつう」や「健常」なんてものは、本当はどこにもないのだ。
 人はすべて「異なる人」であり、その違いを互いに守り合えばこそ対等な関係が生まれ、「不便はお互い様」が当たり前のこととして僕らの社会の共通認識になりうる。

 では、なぜ差別や偏見のような支配関係が今日まで当たり前のように続いているのか?


●対等な関係を許さない相手に「当事者固有の価値」を示そう

 人は、自分自身が切実に何かに困らない限り、自分と同じ困りごとを持つ人の痛みを想像することさえできない愚かさを持っている。
 自分が何も困らなければ、自分以外の誰かも困っていないという社会認識を持ちやすいのだ。

 だから、いざ自分が困った状況に陥ると、途端に孤独になってしまう。
 がんによる死亡率が高いことがわかっていても、自分がいざ「がん宣告」をされると、「なぜ俺が!」という運の悪さを呪ってしまう。
 大企業に勤めていた正社員が突然「リストラ勧告」を受けた時も、「なぜ私が!」と驚くわけだ。

 それぐらい、困った時のために備えることを、多くの人は意外と忘れてる。
 50歳になれば五十肩に苦しみ、70歳を超えれば健康寿命が危うくなり、80歳前後で多くの日本人は一生終えることが統計データとして発表されても、自分が当事者にならない限り、その現実を認めたくないのだ。

 認めれば不安ばかりが募ってくるし、認めたところでリスクヘッジをする時間やお金の余裕がない。
 だから、現実から目を背けてやり過ごしたい。
 それも人情だ。

 しかし、こうした個人における現実認識の過ち以上に深刻なものがある。
 それは、「ふつうの人生」ができない心身や状況になった時に、「お前は弱者だ。支援される対象だ」という一方的なマイナス評価を強いられることだ。
 一方的な支援は「支配」であり、対等な関係ではない。
 対等な関係を築くには、支援者と釣り合うだけの価値が被支援者にあることに、誰よりも被支援者自身が気づく必要がある。

 苦しんできた履歴・経験は、苦しんできた人自身が蓄積してきた資産である。
 なのに、その資産はこれまで支援する側にいいように使われてきた。
 たとえば、精神障がい者が診察で話した個人情報は、精神科医が学術研究や著書などに引用され、精神科医の収益源になった。
 生活保護の受給者が役所に訴え出た案件は、福祉職の役人に「統計化」という仕事を与え、そのデータを基にNPOは資金調達の材料にしてきた。

 もっとも、それらは支援者が知りたいことを収益化しただけで、税金や医療費などの形でお金を払ってきた被支援者が自分の苦しみの価値を収益化できることではなかった。

 苦しさや悲しさ、痛みや大変さといった経験は、当事者でない人が持ってない価値である。
 僕はその価値を、当事者固有の価値と呼んでいる。
 冒頭で紹介した欠損女子たちは、「欠損女子に会える」ことを収益化できた。
 これは、当事者固有の価値の収益化を、「被支援者」側から試みたものといえる。

●欠損バーの収支を試算してみた

 被支援者自身による当事者固有の価値の収益化は、すでにさまざまなシーンで試みられている。
 「障がい者プロレス」は現実にあるし、末期がん当事者が講演するセミナーもあれば、精神障がい者が書いた本もある。
 「幻聴妄想かるた」という商品もあれば、向精神薬の服薬者や妊婦でも安心して飲める「カフェインレス」のブレンドコーヒーを精神障がい者が開発した事例もある。
 こうした事例は、拙著『ソーシャルデザイン50の方法』(中公新書ラクレ)にたくさん書いた。

 何かに苦しんできたからこそ生きのびるために身につけてきた経験・知識・感覚・技術という価値が、当事者には豊かにある。
 その価値を切実に求めている人は誰なのかと問えば、その人に値付けして売ることができる。

 たとえば、生活保護を受給している当事者なら、以下のような価値があるかもしれない。
☆近所に生保の受給者だとバレない具体的な工夫(←これから受給したい人向けの価値)
☆受給生活で自分が切実に困っている10個の不満(←福祉職や福祉研究家向けの価値)
☆受給者に対する自立支援のココがイヤだ!(←政治家やNPO、福祉職向けの価値)
☆マスコミが伝えてない受給者の本音(←書籍編集者やTVディレクター、記者向けの価値)

 よのなかには、いろんな苦しみがあり、それぞれに当事者がいる。
 依存症患者、低学歴、孤児、路上生活者、難民、犯罪被害者…など、挙げればきりがない。
 だが、「社会的弱者」とひとくくりにされてしまいがちなそれぞれの属性について、当事者の抱えてる苦しみや困りごとは、専門家よりも当事者自身の方がよく知っている。
 だから、よりくわしく知りたい相手を客とし、自分たちの苦しみを教えてあげられる価値が当事者には必ずあるし、それは当事者の権利と自由と言い換えてもいいものだ。

 欠損女子のバーは、ゴールデン街の小さな店舗で夜だけ開かれた。
 これは推測にすぎないが、90分で入れ替え制を3回やり、1回に10人の予約入場者がいたとして、客単価が平均3000円だったなら、10人×3000円×3回=9万円の粗利があったはずだ。
 もし当事者2人だけがスタッフなら、1人あたり4万5000円。
 ここから、飲食費や消費税などの諸々の経費を引いた純利益は、少なくとも1万円以上にはなったはず(※店の1日あたりの家賃は含まないので、おそらくトントン)。

 客にとっては、ふだん話すチャンスが乏しい人に興味深い話を聞き出せるのだから、キャバクラ以上の値付けをしてもいいはずだ。
 しかも、月に1回程度の希少なチャンスとなれば、ネット上の広報さえ早めに徹底しておけば、席を奪い合うように予約が埋まることも見込める。
 
 新宿の高級キャバクラなら、夜7時台で1時間6000円程度だ。
 90分制なら、9000円の値付けでいい。
 8時台なら1万円、10時台なら1万1000円。
 しかも、小さな店で最大30人の集客さえ予約で埋めればいいとなれば、結構な粗利になる。
 9000円×10人+1万円×10人+1万1000円×10人=30万円。

 ゴールデン街の店の平均家賃は15万円程度なので、日割りにして5000円程度。
 水道・電気などの光熱費や通常の売上などを考慮すると、2~4万円で一晩くらい借りられるだろう。
 これに、30人分のアルコールや水割り用のミネラルウォーター、つまみ・食事などの飲食コストを加えても、10万円はかからないはずだ。
 そうなると、純利益で20万円程度は、日が変わる前の5時間程度で稼げてしまうことになる。

 女の子2人で月1回程度、「社会的弱者」を逆手に取ったバーをやるだけで、1人あたり10万円程度の収入は作れるってことだ。
 自分の苦しみを安売りしないと決めれば、90分間で1万円をホイホイ出せる富裕層や会社の経費で落とせる客をターゲットにしてダイレクトに広報し、予約先着でネット集客すれば、意外と容易にできてしまうだろう。



●当事者による「無血革命」が静かに進んでいく時代

 このように、当事者自身がバーやカフェで自分の属性ならではの苦しみを語れるイベントを作り出せば、自分たちの価値を知らしめるのと同時に収益化が見込める。
 お金を受け取ることで、当事者も自分の話を聞きたい相手が自分のどこに価値を感じてくれているのかを確かめることになる。

 僕は自殺未遂経験者ばかりを集める『自殺だヨ、全員集合!』というイベントを1996年に渋谷でやったが、実際の入場者が当事者率98%だった。
 リストカットの傷を見せれば割引料金になると事前告知もしていたし、入場者の親2人だけが「当事者ではない人」として高い料金を払った。
 今日同じことをやるなら、当事者を中心に集めるより、当事者自身がその価値を高く売れる仕組みを考えるだろう。

 実際、これを読んでるきみだって、たとえばホームレス2人が路上生活について話してくれるバーが近所で月1回オープンすると知ったなら、足を運んでみたくなるだろう?
 お金が無い彼らが日々どうやって生きのびているのかは、直接尋ねた方が具体的かつ詳細に聞き出せるし、生活保護の受給条件を満たせないまま賃貸物件を追い出される友人や市民を救う際にも、ホームレスが苦しい経験で蓄積してきた「生活の知恵」がリスクヘッジになるからだ。

 ひきこもり2名が話すカフェ・イベントが地域に無いなら、ひきこもり当事者自身が仲間をネット上から誘ってやってみればいいだろうし、電車で1時間かかる程度の遠距離の相手でも、1回くらい一緒にできることがあるはずだ。
 当事者どうしが仲良くなっただけで、社会に対して「当事者固有の価値」という資産を金に換えられるチャンスを作りやすくなる。

 こうした試みが全国各地で当事者自身によって行われれば、当事者固有の価値の豊かさをより多くの人にカジュアルに伝えていけるだろうし、欠損BARのtwitterがそうであるように、ネット上にもその価値を拡散させることができる。

 これは、医療従事者や研究者、福祉職や福祉の専門家などが権威主義に基づいて一方的に定義してきた当事者への視線に対するカウンターになりうる。
 同じ人間をべつの角度から見る視点を獲得することで、「社会的弱者」は、当事者固有の価値を持つ資産家として「社会的強者」になれるのだ。

 カフェやバーで当事者固有の価値を売る動きは、たとえば患者たちが通院先の病院の医療体制や医者のあり方を格付けする動きにもつながっていくかもしれない。
 あるいは、生徒たちが通学先の学校の教育体制や教師のあり方を格付けし、ネット上で問題提起する時代を招くかもしれない。

 当事者自身が自らの価値に気づく時、お金を払う側が一方的に権威や専門家に格付けされている現在の支配の構図は崩れてゆき、対等な関係を実現する。
 それは既存の医療や福祉、教育、看護、介護などのサービスを劇的に変化させ、顧客である「社会的弱者」の当事者満足度の高いものへ洗練させる起爆剤になるはずだ。
 それは、血を流さない革命といってもいい。

 高齢化が進み、誰もが「社会的弱者」という被支援者になりうる以上、当事者自身による無血革命がすべての人にとって自由と権利を実現させることに、人々は少しずつ気づいてゆくだろう。
 誰でもできる革命(略称:ダレカク)は、もう、世界のあちこちで同時多発的に静かに進んでる。

 NHKの福祉番組『バリバラ』のオールキャストが出演したドラマ『悪夢』では、「健常者お断り」という地下のバーが出てくる。
 そこでは、障がい者によるプロレスが見られ、義足の女性歌手が歌い、さまざまな「障がい者」が飲んだり踊ったりして楽しんでる。

 主人公は、「ここに『ふつうのヤツ』、いないのかよ」と叫ぶ。
 カウンターのマスターは、言う。
 「健常者は出てけ! …と、言うと思ったでしょ。言わないんだな」
 女主人は、こう問う。
「健常者の定義って、心身に障がいのない健康な人。
 そんな人、よのなかにいるかしら?」

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