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■やりたいことをやればこそ、金を二の次にできる


 ここ5年ほどの間にネット上の話題になっている、2分40秒の人気動画がある。
 まず、それを見てほしい。



 この動画で熱く語っているアラン・ワッツさん(Alan Watts 1915-1973)は、イギリス生まれの哲学者。
 1938年にアメリカに移住し、西海岸で生涯を過ごし、1960年代には「カウンターカルチャーの指導者」とも言われていたそうだ。
 2015年に生誕100年を迎え、にわかに脚光を浴びたのだろう。

 カウンターカルチャーとは、既存の社会の仕組みに反抗する文化のこと。
 「ベトナム戦争に行け!」と政府に強いられれば、「行きたくない! 俺は平和が好き」と徴兵を拒否する。
 「一夫一婦制以外のセックスは認めないぞ!」と大人が言えば、「じゃあ、未婚のままフリーセックスしまくるぞ!」と乱交パーティを開く。

 「映画は暴力やセックスを描くものではなく、ハッピーエンドで終わるものだ」という押し付けには、「ふざけんな! 自由に表現するぞ!」とエログロナンセンスを描く。
 「音楽は静かに聞くものだ」という鑑賞の姿勢を強いる人には、「じゃあ、でかいスピーカーを持ち込んでRockで踊らせてやる!」と野球場で演奏する。

 そういう60年代のアメリカにおける反抗文化のリーダーだったアラン・ワッツさんの言葉が注目され始めた背景には、「金・金・金…」と目先の利益や生活の安心ばかりを求めるあまり、自分が生きる意味を見失ってしまった若い世代の不安があるのだろう。

 僕がこの動画を興味深く思ったのは、アランが学生から進路を相談される時に答えた言葉だったからだ。

 まだ社会に出ていない学生の多くは、自分が学校文化にしか浸かってこなかった自分の世間知らずぶりにピンときていない。
 よのなかには、学校文化とはべつに、企業文化やアート文化、政治文化、福祉文化、性文化、役人文化など多様な文化があるが、文化が違えば、価値基準も違ってくる。
 これに気づかないままだと、自分が学校文化の中で見失ってきたことがわからない。

 そもそも学校文化では、学校に通う人間に同じ知識や同じ技術をインプットし、「人並み」としてところてんのように同じ属性の人間を作り出すことに教育的価値が置かれている。
 しかし、企業文化は必ずしも「同じ属性の人間」を求めてはいない。
 それどころか、「同じ属性」ばかりが増えれば、人材として低い評価・低い賃金を与えるしかない。

 これは、偏差値とも関係がない。
 需要と供給のバランスで決まるだけの話だ。
 大量生産された商品は安くしか売れないが、手創りの希少品は高い値段にせざるを得ない。
 これは求人市場にも言えるのだ。

 きみが学生の人気企業の経営者で、「東大卒だけを雇いたい」と考えたとしても、同じ知識・同じ学力・同じ性・同じ年齢の東大生が多数面接に来た時に、1人だけを採用する基準は、(学校文化では大事にされなかった)ビジネス上の即戦力やコミュニケーションスキル、経験の多様さなど、点数化できないものになるはずだ。

 同じ属性の新人を2人雇い入れても、研修の投資効果は見込めないし、そもそも研修にお金をかける余裕は今の日本企業には既にないだろう。
 つまり、学校文化の延長線上には、企業文化はないのだ。
(もっとも、市場原理とは遠い役人文化や福祉文化、医療文化などは学校文化に近いから、均質の属性を受け入れたがるかもしれないが、自分の個性に自信のない人たちが殺到するので狭き門となる)

 そこで、カウンターカルチャーが終わり、Rockもすっかり商業主義に染まってしまった現代で、「お金が存在しなかったらキミは何をしたいのか?」というアランの問いかけに注目が集まる理由を改めて考えてみよう。
 その理由はおそらく、親より経済的にはるかに良い環境下で育った若い世代が、金を稼ぐ目的も、金を遣う目的も、見失ってしまったからではないか?

 実際、先進国では男子の草食化は同時多発的に起きているし、親が裕福な医大生も車を買わない。
 自分が学校で学んできたことを社会に活かしたくても、他の人と同じ学びでは企業文化ではことさら価値の高いものとはみなされない。

 「人並みのふつうの暮らし」をするにも金は必要だが、そんな暮らしを本当に自分が求めているのか、自信がない。
 「他の人と同じ人生」をするにも金を稼ぐための労働が必要だが、そんな人生を本当に自分が求めているのか、自信がない。

 そういう自信のない若者にとって、お金の収支を考えないことは、自分が本当にしたいことをくっきりと浮かび上がらせやすくするのだろう。
 でも、お金がない社会(=資本主義ではない社会)は現実ではない。
 では、お金が必要な社会で自分らしく生きるとは、どういうことなのか?
 僕自身の人生経験から、それに答えてみたい。
●きみの夢は、他の人たちと分かち合える夢か?

 僕は、20才になる前に大学をやめ、さまざまなアルバイトに精を出していた。
 当時の僕は、よのなかにどんな仕事があるかを体験的に試しながら、自分ができると思えることで、なおかつ「したい仕事」として文章を書く職種を漠然と目指すようになっていた。

 そこで、22才になる頃には広告代理店で非正規のコピーライターになり、24才の頃には小さな広告制作会社で正社員になっていた。
 もっとも、25才になる年に勤務先が倒産したのを機に、広告業界から足を洗った。
 スポンサー企業の商品を、属性以上に言葉で飾るのは気が引けたのだ。

 もっと自由に書きたいと思ったら、広告ではなく、雑誌や新聞などの活字媒体で仕事をするしかなかった。
 何について書けるかもわからなかったから、分野を問わず、雑誌編集部の連絡先を探しては、片っ端から「雑誌に書いたことはないんですが、書きたいので仕事をください」と言って回った。

 すると、初年度で年収が600万円を越えていた。
 大卒の25才の正社員の平均年収をはるかに超える額面だ。
(ちなみに、最新のデータでも、大企業勤務の大卒男子の平均年収は400万円未満)

 住宅情報誌、若者情報誌、エロ雑誌、新聞など、書く分野にこだわらず、書きまくった。
 文章を書くという職種自体は、ネタを選ばなければ、金にはなるのだ。
 おかげで30才になるまで、年収自体は毎年100万円単位で増えていった。

 ところが、収入は見る見る増えていくのに、つまらん支出も同時に増えていった。
 それは、仕事と仕事の間の空き時間にテレクラで現実逃避していたからだ。

 この詳細は『プライドワーク』(春秋社)という本に書いたが、書きたいネタでもないのに、書けるからといって仕事を引き受けていたら、むなしさがたまり続け、ストレス解消コストが増えていったわけだ。

 そこで、30才になったのを機に、やりたくない仕事はしないことに決め、同時に自分が興味を持てるネタで本を書く仕事を作り出そうと、仕事の中身を変えることにした。

 最初は書籍もそれなりに売れて、ストレス解消のコストもなくなり、年収は上がってはいたが、やがて自殺や家出など、マイノリティ向けの取材がしたくなった。

 すると、発表できる雑誌が限られてしまう。
 雑誌を仕事の主軸に置けなくなり、書籍を主軸に変えると、年収は激減していった。
 その結果、結婚や出産、子育てという「人並みの人生」は遠ざけざるしかなかった。

 それでも、自分が納得できる仕事ができ、衣食住もさほど困らずにいることに、僕は満足していた。
 毎年のように新刊書を出し、その中から増刷する本も生まれてきた実績を見れば、社会にとって価値のある仕事になってきた実感が少しずつ確かなものになってきたからだ。

 そして、昨年(2017年)、20年ぶりに親から虐待された方々の手紙集を書籍化するにあたり、制作資金400万円を事前購入と寄付で調達しようと試みると、満額を達成できた。
 「親から虐待される子どもを減らしたい!」という思いを20年間貫いた結果だろう。

 そこで、アランの言葉を思い出そう。

本当に好きなことを一生懸命やっていれば
あなたは必ずその達人になるだろう。
それが「好きこそ物の上手なれ」だ。
その結果、あなたにそれなりの報酬を払う人も出てくるだろう。
だから何も心配することはない。
誰か必ず興味を持つ人が出てくる。
あなたのやっていることに共感してくれる人も出てくる。

 好きなことを手放さず、愚直に続けていくことがいかに大事かを、僕は知っている。
 でも、やりたいことを先送りする教育を鵜呑みにし、金を稼ぐことが目的になってしまったむなしさから解放されずに苦しんでる若者は珍しくない。

 もっとも、若ければ若いほど、軌道修正は容易だ。
 自信があろうが、なかろうが、「本当はやりたいこと」を見つけたのなら、それを続けることで生まれる価値に敏感になってほしい。
 誰かと比べるのではなく、自分にしかない魅力こそ価値あるものだと気づいてほしい。

 僕自身、子ども虐待や家出、自殺など、追い続ける人が圧倒的に少ない分野を掘り下げてきた。
 これは僕にとって無理のない仕事の流儀であると同時に、商売敵が少なく、独自の発見がしやすい仕事のあり方だった。

 他にそんな酔狂な人がいないからこそ、TVや新聞、雑誌からコメントや寄稿の仕事依頼もピンポイントで僕に来るのだ。
(※もっとも、家出に関しては、あまりにメディア側が取材不足なので、毎年7月にコメントしていた仕事を10年以上前から断っている)

 誰もしないことをすることこそ、自分らしく仕事をするってことだろう。
 その仕事の価値は、お金という形で後からついてくる。
 そこで初めて、「金なんて自分がやりたいことをした結果についてくるものだ」とわかるんだ。

 ただし、「自分のしたいこと」が個人的な満足しかもたらさないなら、お金にはつながらない。
 誰かが「俺はお金持ちになりたい」とか、「私は貧乏から脱したい」と叫んでも、きみは彼らに金を払うかな?
 きっと払わないよね。

 でも、「子ども虐待をなくしたい。そのためには虐待の深刻さを1人でも多くの人に知ってほしい」と訴え、そういう本を作るために動けば、共感者は増えていく。
 共感者が増え、応援してくれる人が少なからずいる実感を得てこそ、「やっぱり自分のしたいことを突き詰めていけばいいんだ!」という思いが確信に変わる。

 他の人が応援したくなるだけの情熱を、自分がやりたいことにかけているかどうかを自問し、みんなの応援に応えるつもりで続けていけば、ちゃんと目標は達成できるし、金は後からついてくるんだよ。

 もちろん、同じ夢を他の人と分かち合えるのは、社会的課題の解決を目的とした夢だけでない。
 練習と実績を積んできたアスリートが「私は五輪に出場したい。日本選手としてみんなの期待に応えられる結果を出したい」と訴えれば、やはり共感者は増える。

 実際、F1レーサーやパラリンピックの選手などは、出場に必要な練習コストを調達するために、「みんな」に勇気と自信を与える存在になろうと奮闘している。
 自分が満足するだけの夢ではなく、誰かの活躍を見たい人たちの夢に自分自身がなるよう、自己アピールを続けているんだ。

 やりたいことを続け、突き詰めていけば、その仕事の価値の大きさも必要性も多くの人が知るようになり、やがてお金が近寄ってくる。
 そこまでには年月がかかり、最初はしばらく貧乏も覚悟しなければならないかもしれない。

 でも、自分が本気でやりたい仕事の中身を、より良いものになるように労力と年月をかけたのなら、それなりの成果は必ず生まれる。
 本気で夢見るものがきみにあるなら、現時点での自信のなさに悩んでいるヒマなんてないはずだ。

 もっとも、「どんな人生なら自分は満足するのか?」は、きみが選べること。
 きみの人生は、きみ自身が自由に決めてよいものなのだから。

自分のしたくないことに人生を費やせば、
それを子供たちにまで継がせてしまう。
だから、自分のやっていることを良く見直すこと。
自分と同じような道を歩むよう教育していないかどうかを。
人は、自分を正当化しようとするために
同じようなやり方で子どもたちを育てているのだ。



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