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■HKT48歌詞問題 「カワイイね!」と言う男にご用心

 2016413日に発売されたHKT487thシングル「74億分の1の君へ(TYPE-C)」に収録されたカップリング曲『アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞が、一部のネットユーザーから「女性差別的ではないか」と指摘されている。

 そうした批判の声は、すでにNAVERまとめに紹介されてるし、J-CASTニュースWEB RONZA(勝部元気さんの記事)などの新記事も出ている。

 彼らの指摘はもっともなのだが、僕は批判のポイントがズレてるような違和感をもった。
 女性差別とは違う視点で、この歌詞の問題を考えてみたい。
 まずは、歌詞(←クリック)を見ながら、楽曲を聞いてみよう。



 なるほど、歌詞だけを取り出せば、ツッコミ甲斐のあるフレーズがもりだくさんだ。
 いちいち聞いてられない人は、下記の動画でサクッと従来の論点を理解しておこう。



 おそらく批判の中で一番妥当だと思われる指摘は、 曲名にある「ディアナ・アグロン」(※アメリカの人気テレビドラマ『glee』に出演した女優)が「グリー」で演じたキャラが、歌詞で表現されている女性像とは「正反対」である点だろう。
 それ以外の「女性差別」という批判も”当たらずとも遠からず”で、そのように受け取って不快に感じる人がいるのも理解できる。

 ただ、アイドルソングは、歌詞だけを取り出してみただけでは、表現を受け止めたことにはならないはずだ。
 だから、公式PVを冒頭に紹介した。
 歌っているのは、 1417歳のメンバー4人。
 歌詞を書いたのは、AKBグループ総合プロデューサー・秋元康さん。58歳のおじさんだ。

 いまどきの中高生女子に下記のような歌詞を、58歳のおじさんが歌わせている。
「頭からっぽでいい」
「女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい」
「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」
「世の中のジョーシキ何も知らなくてもメイク上手ならいい」
「女の子は恋が仕事よ」
「ママになるまで子供でいい」

 もちろん、上記の歌詞を読んで、「そう、そのとおり!」と思う中高生女子は一定数いる。
 だからといって、批判する人たちのように熱くリアクションをとることはない。
 なぜか?

●女子と男子で「カワイイ」の意味が違うことに気づいてるか?

 映画『下妻物語』で描かれたロリータ・ファッション好きの主人公も、これに近いからだ。
 大なり小なり、「頭からっぽでいい」という考えで生きてる友人はふつうに周囲にいるし、彼女たちを煙たいと思っても、深くつき合わなければいいだけだからだ。

 しかし、『下妻物語』の主人公と、前述の歌詞の少女との間には、決定的な違いがある。
 それは、前者は「私は嫌われてもいい。根性、腐ってますから」と居直れる点だ。
 自分が好きなら、他人がどう評価しようと構わない。
 そうした作法ができるか、できないかで、女子の生きづらさの程度は天と地ほど違ってくる。

 歌詞の全文を読む限り、秋元康さん(58歳)が中高生女子の日常会話をコラージュしたにすぎず、彼は女子どうしの間にある「学力格差」や「モテ格差」などへの嫉妬には関心が無かったようだ。
 というのも、そこに関心がなくても、秋元さん自身は何も困らないし、どんな歌詞であろうとアイドルたちは黙って秋元さんに従う他にないからだ。

 おそらく秋元さんは、アイドルは作詞家の書いた言葉をそれらしく歌えば十分で、シンガーソングライターのように自分自身の主張を魂込めて歌う仕事ではないと考えているのだろう。
 歌詞の世界を(そんなこと本気で思ってなくても)「演じる」のがアイドルソングである以上、購買力があって人気を下支えしている男たちが「リアル」だと信じてさえくれれば、売れるからだ。

 もし、それがその通りなら、新たに2つの問題が浮上する。
 一つ目は、「女の子は可愛くなきゃね」「愛されなきゃ意味がない」というフレーズに見られる”モテ格差”問題の露呈だ。
 女子どうしで言う時の「可愛い」は、自分に誇れる自分になるためにメイクやファッションに工夫や努力をした結果への評価だ。
 しかし、ダメ男が女子に向けて放つ「カワイイね!」には、「自分より下だね」(弱いね、手なづけられそう、支配できそう)という意味が含まれている。
(※大人の女性に「カワイイね」と言う男は要注意。大人の男は同じ意味で「ステキだね」と言う。自分で自分を十分に愛せる大人の女性に「カワイイ」は失礼だから)

 この違いに敏感な女子は結果的にモテるが、鈍感な女子はいつまでも自分で自分を可愛く思えないから「(男に)愛されなきゃ意味がない」という短絡的な救済にすがる。
 そこに大きな「モテ格差」が生じ、女子どうしの間で嫉妬と争い、分断を招く。
 しかも、「頭からっぽでいい」と畳みかければ、自己評価の低いバカな女子をダメ男へ導かせる構図ができあがる。

 「私、あなたがいないと生きていられない」とすがる女子を歌詞によって演じさせれば、リスナーのダメ男に「この女子は俺がいないと~」と感じさせる。
 これは、「アイドルに食いつくなんてダメ男だろ」と、音源を買った男を嘲笑っているのと同じだ。

 恋愛コラムさえ書いている秋元さんは、「どうせダメ男はそれに気づかない」と高をくくっているのかもしれない。
 問題は、「女性差別」以前に、秋元さんに小馬鹿にされている日本の男たちが「バカにすんな、秋元っ!」と声を上げないことなのだ。
(※英語圏でそのまま歌詞を訳して流通させれば、怒る男性ファンも出てくるはずだ)

 そして、新譜が出ればホイホイ買い漁ってくれるのだから、秋元さんもよくファンを手なづけたものだ。
 ファンがバカでいてくれた方が自分の財布が太ってゆくのだから、高笑いが止まらないだろう。

 二つ目の問題は、中高生女子にこの歌を歌わせる以上、「男に愛されなければ生きている価値が無い」という歌詞の意味を、彼女たちが納得できるまで事前に説明したかどうか、だ。
 4人の少女たちは、自分たちが納得できないフレーズだと感じても、「仕事だから仕方ない」と演じ続けるしかない。
 だとすれば、社会を広く観る前に「どうせ仕事なんてこんなもん」というあきらめを植え付けてしまわないだろうか?

 秋元康さんは、AKBグループに所属するタレントにとって、「神」だ。
 そこで働く以上、「交渉の余地がない」と思えば、早めに見切りをつける少女もいる。
 しかし、「仕方ないのかな」と言いたいことを胸に秘め、「まわりのみんなも先輩も耐え忍んでいるのだから」と同調圧力に負けてしまえば、彼女たちは大人になるにつれて、とんでもないメッセージを同世代の女子に向かって叫んで金を得ていた自分を許せない気持ちになるかもしれない。

 特定の「少女らしさ」を売り物にし、ジェンダー固定に乗っかってヒットを出すのも自由だろう。
 しかし、それが心ある少女の小さな胸を痛めることを、多くの男は知らない。
 しかも、女子が男子よりはるかに繊細なセンサーで人間関係やよのなかを見ていることに、多くの男は鈍感だ。
 「売れればいい」では済まない問題が、そこにはある。

 ハッキリ言っておこう。
 秋元康さん(58歳)は、すでにオワコンだ。
 もう、しこたま儲けたのだから、若いプロデューサーに自分の座を明け渡してみてはどうか。
 若い世代の歌詞を見れば、「男に選ばれる・選ばれない」問題を軽やかに卒業していった女子たちの言葉の多さを発見し、驚くだろう。
 そこで、自分自身の撒き散らしてきた罪深さを、自分の育てたアイドルたちが彼女たち自身の奮闘によって乗り越えてきたことにも、そろそろ思い当たってほしいものだ。

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