まずは、以下の動画を見てほしい。
(フルスクリーンでの視聴をオススメ!)
これ、Youtubeのアカウントを見ると、製作者についてこう書かれている。
都内在住の中学3年生。
独学で小学3年生から映像制作を始め、小6からBlender及びCS6を使用した3DCG、VFX制作を続けている。
中3の子が作った映像? マジか?
ググッてみると、すでに紹介記事がいくつか出ている。
だが、はっきりしているのは、この「38912 DIGTAL」という名前のアカウントがtwitterにあることぐらい。
いろいろ謎なのだ(※2016年2月26日時点)。
もちろん、音楽はフリー素材だし、既存の映像加工ソフトを駆使するわけで、いまどきの中学生なら容易にできる部分はあるだろう。
しかし、それらを差っ引いても、映像の加工技術だけでなく、音響や演出、物語構成などのさまざまなスキルの結集が映像なので、これを中学生1人でやってのけたとなると、なかなか面白い逸材ではないか。
こういう面白い才覚を見ると、職人文化を育むのにインターネット環境は向いていると思う。
ただし、こうした才能ある職人気質の仕事も、商人がいなければ、プロにはなれない。
この動画が10代の若手クリエイターのものである場合、アメリカなら新作のための資金や環境、最新技術や人材などを投資する人たちが現れる。
そういう意味では、「38912 DIGTAL」さんがtwitterで英語でツィートしてるのは、極めてまっとうな売り出し方といえる。
若手クリエイターが映像作家として生きていきたいと望むなら、ネット上で話題が拡散している時期に、自分に何が必要かを公言しておくといいかもしれない。
「中学生だから先走るな」なんて大人のアドバイスに、うなづく必要はないだろう。
世界中の同時代のクリエイターたちから刺激を受けて、新しい時代のクリエイターになればいい。
職人は実務家なので、文科省が勝手に決めた学歴も学力も関係ないし、むしろそうした縛りの外側に豊かな発想の源がある。
●職人と商人が手を組めば、新しい文化が作り出せる
クリエイティブ分野におけるこうした「規格外」の中学生は、スポーツ分野の若手人材に比べると、なかなか評価の対象になりにくい。
スポーツだと金メダルや数字で評価しやすいが、最新技術を駆使した映像表現などは、既存の価値基準でオーソライズすることが難しいからだ。
だから、何らかの賞を狙うより、作品自体がなるだけ短期間になるだけ多くの人の目に触れ、資金提供を受けられる仕組みを作る方がいいだろう。
ものづくりでは、遅かれ早かれ、より多くの人を巻き込む必要が出てくるのだから。
一人で映像制作を進める事例は、新海誠さんなど既にある(彼は僕の友人の旦那さん)。
だが、最初はたった1人で映像制作をしている人でも、より自由な表現を試みようとすれば、以下の事情で1人では立ちゆかなくなる。
だが、最初はたった1人で映像制作をしている人でも、より自由な表現を試みようとすれば、以下の事情で1人では立ちゆかなくなる。
① 長編を作ろうとすれば、キャラクターの多様性が必要となり、作家自身がコミュニケーション不足だと表現の発想に限界を迎えるから
② 短編中心に制作し続けても、1人で質的向上を目指そうと思えば、その分だけ手間と時間がかかるため、他の仕事や勉強、趣味などに割く時間がとれなくなるから
③ 制作を順調に続ける際、時間・資金・人脈などのマネジメントにプロの仕事が必要になるから
いずれにせよ、10代の才能はもっと伸ばせる環境つくりは必要だろう。
そこで10代や若者に取り組んでほしいと思うのは、同世代の新しい才能を発掘し、その才能の持ち主に資金・人脈・技術などを提供できる仕組みを作ることだ。
職人がどれだけ良い腕を持っていても、商人とつながらなければ、その腕を仕事に活かせない。
だから、起業家を目指す10代は、起業家どうしでつるむようなバカな集まりに顔を出すのではなく、むしろまだ大人たちが知らないでいる同世代の才能を発掘し、彼らが必要としているものを提供できる仕組みを作り出し、中高生でもプロとして金が回る環境を整えることを収益化してみてほしい。
大人は、古い価値基準で新しい文化を査定しがちだ。
しかし、新しい社会は、いつの時代も若者が作っていく。
文化は、そのようにして更新され続けてきたのだ。
戦後、1960年代までは小説家がカルチャースターで、「先生」と呼ばれていた。
しかし、1970年代に入ると、漫画家がその座を奪った。
1980年代に入ると、漫画家よりアニメやゲームのクリエイターが注目され、1990年代ではプログラマが文化の担い手になった。
若者が支持する文化の分野はより優秀な人材が集まるようになるため、市場も活性化する。
文化を売る大人たちは、そうした若者たちの新しいソフトによって食わせてもらってるだけなのだ。
ラノベにせよ、人気ゲームの舞台化にせよ、ね。
映像表現は、20世紀初頭に映画が生まれてものすごい速度で進化し、ネットの普及で表現技術的にも発展してきたが、今日では「何を描きたいのか」というテーマの部分も進化を求められている。
その進化を支えるのは、作家自身のコミュニケーションの豊かさであり、その豊かさを保証するのは、職人と組んで商品化を実現する起業家も含め、さまざまな属性の人たちだ。
「38912 DIGTAL」さんが本物の中学生だったなら、社会はもっと彼を歓迎していいはずだ。
とくに彼と同世代の10代で起業家を目指す人なら、一緒に組んでできることを考えてみてほしい。
それはきっと、ワクワクできるものだろうから。
そこで10代や若者に取り組んでほしいと思うのは、同世代の新しい才能を発掘し、その才能の持ち主に資金・人脈・技術などを提供できる仕組みを作ることだ。
職人がどれだけ良い腕を持っていても、商人とつながらなければ、その腕を仕事に活かせない。
だから、起業家を目指す10代は、起業家どうしでつるむようなバカな集まりに顔を出すのではなく、むしろまだ大人たちが知らないでいる同世代の才能を発掘し、彼らが必要としているものを提供できる仕組みを作り出し、中高生でもプロとして金が回る環境を整えることを収益化してみてほしい。
大人は、古い価値基準で新しい文化を査定しがちだ。
しかし、新しい社会は、いつの時代も若者が作っていく。
文化は、そのようにして更新され続けてきたのだ。
戦後、1960年代までは小説家がカルチャースターで、「先生」と呼ばれていた。
しかし、1970年代に入ると、漫画家がその座を奪った。
1980年代に入ると、漫画家よりアニメやゲームのクリエイターが注目され、1990年代ではプログラマが文化の担い手になった。
若者が支持する文化の分野はより優秀な人材が集まるようになるため、市場も活性化する。
文化を売る大人たちは、そうした若者たちの新しいソフトによって食わせてもらってるだけなのだ。
ラノベにせよ、人気ゲームの舞台化にせよ、ね。
映像表現は、20世紀初頭に映画が生まれてものすごい速度で進化し、ネットの普及で表現技術的にも発展してきたが、今日では「何を描きたいのか」というテーマの部分も進化を求められている。
その進化を支えるのは、作家自身のコミュニケーションの豊かさであり、その豊かさを保証するのは、職人と組んで商品化を実現する起業家も含め、さまざまな属性の人たちだ。
「38912 DIGTAL」さんが本物の中学生だったなら、社会はもっと彼を歓迎していいはずだ。
とくに彼と同世代の10代で起業家を目指す人なら、一緒に組んでできることを考えてみてほしい。
それはきっと、ワクワクできるものだろうから。
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