Breaking News
recent

■『あさが来た』の夫のようにはなれない『ヒモザイル』

 女性活躍推進法の中身とその実際の運用を見てみると、保守的な男女関係や既得権益の温存の意図が見え隠れする。
 オッサンの政治家や官僚、大企業の経営トップに「おまえらは黙ってついてこい!」って言われてるみたいで、「昭和」くさい時代遅れ感がハンパない。

 神奈川県では、「かながわ女性の活躍応援団」が結成されても、団員には男性しかなれない。 
 宮崎でも「みやざき女性の活躍推進会議」が結成されているが、宮崎銀行の代表取締役頭取・平野亘也さんと共に、KIGURUMI.BIZ株式会社の取締役工場長・加納ひろみさんが共同代表になっている。
 しかし、男女1組で行政主導の「応援団」の代表を務めるのは、全国でも珍しい事例だ。

 そもそも、女性の活躍を推進させようという動きは、育休制度などの支援を普及させて「少子化を止めたい」という思惑から始まったように見える。
 人口減や少子高齢化が進めば、内需が冷え込む。
 それどころか、国内の生産力や経済力も落ちていく恐れがあるから、ただでさえ歳出が増え、借金と増税でしか国の財政が成り立たなくなっているのを食い止めるには、歳入に占める税収を増やすために、労働人口の確保を急ごうという理屈なのだろう。

 そこで、女性には「産む」「働く」という選択肢を、ヘテロ男性には「結婚する」「性交する」という選択肢を拡充させたいとオッサンたちは考え、女性活躍推進法を作ったのかもしれない。
 もっとも、現実はオッサンたちの思惑どおりにはいかないだろう。

 40代後半と50代前半の未婚率を平均した生涯未婚率は、戦後の1950年は1.4%だった。
 ところが、60年後の2010年では15.1%(総務省『国勢調査』)。
 東京では20.3%(50歳人口の5人に1人)が未婚だ。
 この生涯未婚率、職業によって大きく違っている、と武蔵野大学の舞田敏彦さんが指摘してる。

 2012年の『就業構造基本調査』(総務省)のデータをもとに、職業別の生涯未婚率を男女別に計算してみた。
 下記は、横軸に男性、縦軸に女性の生涯未婚率をとった座標上に職業を配置したグラフだ(ニューズウィーク日本版男女差が最大の医師では、女性の未婚率が男性の10倍以上」より)。
 いろんな角度からの統計調査に関する分析がネット上に既にあるので、詳細はそれを参照してもらうとして、ここでは男女の所得格差にだけ絞って結婚の難しさを語ってみたい。
 僕自身、50歳・未婚・子無しであり、非婚主義者ではないからだ。

●朝ドラ「あさ」の亭主と、『ヒモザイル』の男たちとの違い

 男女の所得格差で気になったのが、NHKの朝ドラ『あさが来た』の主人公あさの亭主。
 彼は、両替商という金貸し屋の家業をほっぽり出し、日夜、三味線などの芸事で遊んでいる。
 店は弟に任せ、江戸から明治という時代の変化で家業が傾いた穴埋めに新たな収益源を作り出しているのは、もっぱら妻のあさだ。


 あさは、大阪から九州の炭鉱まで徒歩で何度も往復しながら、石炭の採掘を交渉・管理・販売の道筋をつけ、家業の柱としての商いを担っている。
 彼女の商人としての才覚は、亭主の父である大旦那(家長)も認めたぐらいだ。

 夫は世間から「ぼんぼんの遊び人」と呼ばれているが、気にしない。
 妻に働かせ、自分は働かない「完全なヒモ」なのだが、視聴者からは何のクレームもこない。
 それどころか、平均視聴率が20%を突破するほど人気がうなぎのぼりだ。

 他方、東村アキコさんのマンガ『ヒモザイル』は、ネット上で炎上し、作家自身が自粛・連載中止を編集部に申し入れる形で止まってしまった。
 『ヒモザイル』と『あさが来た』の「ヒモ男」の描かれ方の違いを問うには、たった2回で連載終了してしまった『ヒモザイル』にとって分が悪い。

 それでも、今後の連載再開を期待しながら、「男目線」による理想的なヒモとは何かを考えてみたい。

 というのも、男女どちらにとっても、収入格差のある関係が結婚や出産につながらない限り、少子化に歯止めがかからないし、自由業の僕自身も浮かばれないだろうから。

 商業的に成功した中年男が若い美女と結婚すると、妻は「トロフィーワイフ」と揶揄される。
 成功した手柄の象徴として「若さ」「美しさ」「女性性」が語られるからだ。
 でも、女性が商業的に成功して自分より収入の低い男と結婚すれば、夫は「ヒモ」と呼ばれる。
 そうした差別的なまなざしには、ジェンダー以前に、成り上がりや富裕層に対する「世間の嫉妬」を含まれているんだろう。

 それはそれで、「人情」なのかもしれない。
 だが、同時に「自分は自分より裕福な人のパートナーにはなれない」という恨みでもある。
 そこで、収入格差がないどうしでの結婚が順当だと考えられがちだが、それは事実上、貧乏人どうし(あるいはお金持ちどうし)で結びつくことになる。

 中流資産層がどんどん下流化している現代日本では、夫婦が共働きをしないと出産・子育て・教育への投資を維持できない。
 つまり、結婚する二人の資産を合わせた合計額が潤沢にあるか、妻がめちゃくちゃ稼げる才覚をもっていない限り、男はヒモになんてなれないわけだ。

 あさの夫がヒモになったのは、父親の金貸しによって幼友達の家庭を不幸にしてしまったことで、早くから家業への関心を失っていたことにあった。
 しかも、あさが商いを面白がって取り組んでいる姿を見ると、邪魔をせず、ますます遊びに興じるようになった。
 時には、芸事を通じて得た広い人脈や社交性を活かし、陰ながら妻の仕事を支援する。
 夫以外からは「女なのに~」と商いへのワクワクを認めてもらえなかったあさは、夫について「遊んでるやさ男が好きなんだす」と言い放つ。

 この夫は、家事や子育て、介護などの一切を女中にお任せしているご身分であり、100年前の話なので、「イケメンのお調子者」というキャラもあいまって、憎めないところがあるのだろう。

 では、名家に生まれ育って資産があるというわけでもない、ただの貧乏な独身男性は、「稼げる未婚女性」に歓迎される『ヒモザイル』になれるだろうか?
 高度経済成長期に生まれた専業主婦のように、配偶者の収入だけを頼りにして出産・子育て・教育へ投資する暮らしが実現できるだろうか?
 これは、なかなかの難題だ。

 しかし、本というバクチ商品で飯を食ってる僕のような不安定な自営業者にとっては、その難題を考えておかなければ、人生の選択肢を1個でも守りたいという一縷の望みも雲散霧消してしまう。



●男がヒモになれない社会は、女にも負担を強い続ける!?

 そもそも、「この人なら一緒に苦労しても後悔しない」という程度の覚悟を双方がもち、そのつもりでパートナーを探しているのを前提にするなら、自営業・非正規雇用者など「収入が不安定」な男性が、収入格差の大きい相手と結婚するには、以下の3つの条件が安心材料になるはずだ。

☆女性が喜んで出せる額面の生活コスト(あるいは女性が困らない程度の男性側の収入)
☆家業を夫婦で共同経営(もしくは従業員も交えて全員が経営者の協働労働
☆子育て・介護・家事などの負担を気軽に軽減できるシェア・外注の社会的インフラ

 親が資産家か、あるいは転職を繰り返して高額な年収アップになっている少数派を除けば、正社員で安定収入を続けたい女性の給与額面では、不安定な収入の男性を食わせても、その先の出産・子育て・教育投資の実現には不安が残る。
 もちろん、そんな不安を乗り越えて結婚するカップルもいるし、「明日何が起きるかわからない」不安を共有したからこそ結婚したカップルも3・11の被災地では珍しくない。

 ただし、リアルな収入額面だけで言えば、商い上手で業績の良い会社の経営者か、将来に自信のある自営業者しか、額面では劣る(あるいは不安定な)男性が結婚・出産・子育て・教育投資という選択肢を守りぬくことは、至難の業だ。
 それを考えると、「なぜ前述した3つの条件を整わせることを長らくこの社会は怠ってきたのか」という思いが湧き上がる。

 ビジネスモデルや市場が流動的になり、ITの進化で無くなる職種が増えれば、食っていけなくなる国民は今後さらに増える。
 そんな時代に、男だの女だのとは言っていられない。
 だが、少なくとも女性活躍推進法と同等に、収入が不安定なすべての人が選択肢を失わずに済む政策が必要だったのではないか?

 上記のツィートを見て、女性活躍推進法が「女性を食わせられない男性」を救うために仕掛けられた罠のように思えてきた。
 男がヒモや主夫になれない(=出産・子育て・介護・家事などを担えない)社会は、女性の選択肢も奪うのだ。
 女性の立場が弱いままの社会では、その弱さを男性がカバーすることを強いられたままだ。

 しかし、それを可能ならしめた高度経済成長時代は、とっくの昔の話だ。
 低成長時代の今日、男性がいくら強くなったところで、結婚、子育て、介護、自身の老後までを一人でカバーするだけの収入を確保するのは困難だろう。
 そのうえ、長らく女性が強いられてきたご近所付き合いやPTAなどへの気遣い、繕いや料理などを女性と同じ程度にこなすことを求められれば、努力にも限界が来る。

 そこで、イライラしながら男性を見る女性もいるだろう。
 男性の正社員が派遣OLの仕事に対して男性と同じ属性・能力を求め、イライラしてきたように。
 それを思う時、『ヒモザイル』が早めに仕切りなおしを決めたのは正解だった気がする。
 女性が男性を食わせる時、その対価が男性の可能な範囲を越える恐れは常にあるのだから。

 この構図をふまえるなら、安易に「愛があれば大丈夫」とは言いがたい。
 それでも、女性の方が圧倒的に稼ぎの良い「下方婚」が成立するとしたら、むしろ「稼げない男性」の固有の価値を具体的に明らかにしていく必要はあるだろう。
 その社会実験として、『ヒモザイル』は注目に値する。
 男性が強くなることに疲れ果てた今日、その弱さをどう女性がカバーするのか(しないのか)は、男女の別なく関心事になるだろうから。

 昔、誰かが「亭主は犬だと思え」という本を書いたが、妻が毎度イラだつストレスを考えるなら、最初から「犬」並のスペックしかないと思う方が、男女どちらも気が楽だろう。
 有史以来、「結婚は勢い」とか「夫婦生活は修行」と言われてきたが、どちらかが気持ちの余裕を持てる時に、余裕のないパートナーを癒せる程度のスペックは持ちたいものだ。

 それは「格差婚」「下方婚」に限らず、余裕を生み出せる社会の仕組みへと改革することが迫られていることを意味する。
 世界を変革できる「ダメ男力」なるものがあるとしたら、男性がパートナーの切実に望んでいることを知ろうとし、そのニーズに応えようと本気で思えるかどうかという覚悟かもしれない。

 その覚悟を前にした時、女性は「稼げない男」だからこそ持っている価値の豊かさに気づくことを要求されるだろう。
 相撲自慢の「女らしくない」あさが、「遊んでるやさ男が好きなんだす」と言い放ったように、「稼げない男」から経済力ではない価値を掘り起こさずには、友好な関係は生まれない。

 日本が豊かな社会を越えて行き詰まった今日まで、男性は女性のもつ「固有の価値」の豊かさを気にも留めていなかった。
 しかし、一部では、よちよち歩きでも、不器用でも、その豊かな価値を知ろうとし始めている。
 それらは、育メン、女性起業家の育成支援、地方移住、離職、コレクティブハウス、料理男子、ジェンダーレス、ソーシャルデザイン、ミニマリストなど、さまざまなシーンで試みられている。

 そうした時代の最先端事情に敏感かつソフトに受け入れていくか?
 あるいは、判断を先送りしながら選択肢を1つずつあきらめていくのか?
 いずれにせよ、僕にとって残されている時間はあまりない。
 せめて、やりがいと単価のより高い仕事を作り出す速度を上げ、収入をさらに上げることで人に会える時間をなるだけ増やしていこう…?

 あれっ? それじゃ、これまでとさほど変わらないじゃないか!
 そしてまた、誰にも会わない1日が過ぎていくのだった。

上記の記事の感想は、僕のtwitterアカウントをフォローした上で、お気軽にお寄せください。


 共感していただけましたら、下にある小さな「ツィート」「いいね!」をポチッと…

conisshow

conisshow

Powered by Blogger.