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■誰も言わない「寄付月間」への疑問点

 「寄付月間~Giving December~」なるものをご存じだろうか?
 このタイトルの公式サイトには、こう書かれている。

NPO、大学、企業、行政、国際機関などで寄付に係る主な関係者が幅広く集い、2015年から12月の一カ月間を「寄付月間~Giving December~」とすることが決まりました。

 官民連携で寄付文化を醸成していこうというものらしい。
 この「寄付月間」とは、同サイトでこう定義されている。

寄付の受け手側が寄付者に感謝し、また寄付者への報告内容を改善するきっかけとなること、そして多くの人が寄付の大切さと役割について考え、寄付に関心をよせ、行動をするきっかけとなることを目指した月間

 確かに、いろんな寄付がよのなかに増えてはきてるけど、寄付しても寄付の受け手から感謝された実感が乏しい人は多いだろうし、その金で何がどう変えられたのかについてわかりやすい情報公開が行われているとは言えない。

 僕自身、自分の本の印税から寄付をしてきたが、寄付先の団体からの感謝や報告内容に満足しているかと問われれば、残念ながら「No」だ。
 それでも、僕の本を買ってくれた(=寄付者になってくれた)方々への情報公開として、寄付先に受領書を作成してもらい、その団体の人と一緒に写真を撮影し、寄付した事実をブログに発表している。
 しかし、その程度の情報公開すらやってない団体は少なくない。

 だから、「改善するきっかけ」は必要だと痛感してるし、僕自身が運営している「学術書チャリティ」という寄付の仕組みでも、寄付を求める団体に対して入金額と、それによって何がどう変わったかの報告義務を課している。
 そうした経験をふまえてこの寄付月間の試みを見ると、いろいろな疑問を感じざるを得ない。

 社会貢献シーンでは、全国放送のテレビや全国版の新聞まであまり深くつっ込むことがない。
 手放しで応援する空気が支配的で、少しでも疑問を呈すれば、仲間はずれにされそうな恐ろしさまで匂う。
 しかし、寄付文化を醸成するには、そうした排他的な作法自体が障害になる。
 だから、あえて疑問点を指摘しておきたい。

●寄付は金に余裕のある人間の特権? 

 この寄付月間を決めて動き始めたのは、「寄付月間推進委員会」なる団体だ。
 公式サイトによると、委員長は元・東大総長で株式会社三菱総合研究所の理事長・小宮山宏さん。
 共同事務局長には、NPO法人 日本ファンドレイジング協会の鵜尾雅隆さんが務めている。
 ここまではいいとしよう。

 しかし、委員には、全国各地の財団や大企業、NPO・一般社団法人などの代表が名を連ねている中に、大手広告代理店の電通の社員、内閣府・文科省の官僚まで入っている。
 寄付行為は、そもそも民間における公共投資だ。
 なぜ最初の推進活動から、政府筋や代理店をかませるのか?
 既得権益の人たちにオーソライズされなきゃいけないほど信頼性が弱い民間事業なの?

 政府は、日本全国の子どもの貧困対策を強化するため、民間の財団法人「日本財団」とともに新たに創設した「子供の未来応援基金」への寄付を広く呼びかけたのに、寄付の受付が始まって3週間弱が過ぎても、寄付金の総額はたったの約150万円だった。

 そもそも、児童福祉は、受益者が有権者ではないため、政治家は叱られることもなければ、自分の得票にも影響しない。
 そこで、「子どもの貧困」を民間の寄付に預けてしまった結果が、このていたらくなのだ。
 政府主導の寄付には、広報力も乏しければ、より多くの寄付を集める仕掛けを生み出す知恵もない。

 広報力や知恵を集める動機も乏しいのだから、なぜそうした政府筋の官僚を最初から委員に入れるのか、さっぱりわからない。
 入れることで、「子どもの未来応援基金」の事実上の失態を免罪するような文脈すら提供してしまうのだから。

 2番目の疑問は、「多くの人が寄付の大切さと役割について考え、寄付に関心をよせ、行動をするきっかけとなることを目指した」割に、12月7日に委員会が主催したイベントのゲストには、みんなが知っている有名人が野球解説者の古田敦也さんしかいなかった。

 ほかのゲストは、「知る人ぞ知るその筋の専門家」にすぎない。
 要するに、「意識高い系」のインテリさんたちが大集合ってわけだ。

 12月16日のイベントのゲストは、ビル・ゲイツだ。
 客寄せパンダとしては悪くない人選だが、ビルが出てくれば、一般の市民にとっては「寄付はやっぱり金持ちしかできないこと」という印象を重ね塗りするだけだろう。
 広報ブランディング的には完全にミスキャストであり、寄付文化の醸成の点でも大失敗だ。

 「寄付月間推進委員会」の委員選びやイベントのゲスト選びのセンスが示しているのは、下流化の恐れがない中流資産層以上の勝ち組の市民や、経営上リスクのない範囲でこれまで通りの寄付を続けたい企業という属性の範囲内で寄付文化を醸成しようという狭い社会観だ。

 そういうイベントには、高卒のヤンキーはもちろん、障がい者もニートもシングルマザーも足を運ばない。
 イベント主催者から「蚊帳の外」にされた人たちは、「勝手にやってろ」としか思わないだろう。
 しかし、それでいいんだろうか?




●政府や代理店の片棒を担ぐ前に、誰のための寄付?

 寄付を求めるNPOなどの団体は、低所得者層や障がい者、失業者などの社会的弱者を救うために活動している。
 社会的弱者の当事者から関心を持たれない内容のイベントや活動から、社会的弱者が満足できるだけの寄付の仕組みや、寄付者が納得できる社会活動が生まれるだろうか?

 もっとも、そういうイベントを平気でやれてしまう人たちが、実は社会貢献シーンには珍しくない
 彼らは多様な属性の人々が生きることを前提とする「ソーシャル」という言葉が理解できていないのだ。

 そもそも「お金に余裕のある人は無理のない範囲で寄付して」という理屈は、「お金に余裕のない人や活動団体は金を出す俺たちの方針・基準に従ってくれ」という支配的な現実を温存しかねない。

 今日では、金持ちの親を持てば高学歴→高所得の人生を歩みやすいが、貧しい家の子は低学歴→低所得の人生へ追いやられる。
 そうした「社会の仕組み」を温存したまま、再挑戦できる多様な仕組みを金に余裕のある人々は作ってこなかった。
 そこで、「お前ら、金もノウハウも無いんだろ。恵んでやるよ」と自分たちの価値基準を押し付けておきながら、 「寄付は社会を変える投資だ」なんてキレイゴトを言うなんて、いったい何様のつもりなんだ?

 変わるべきは、寄付できる立場にいる人たち自身の考えだ。
 彼らは、彼ら自身がやるべきなのにしてこなかったことを顧みる必要がある。
 彼らの発想では勝ち組になれないまま不遇な環境下に置かれる社会的弱者のために、「社会の仕組み」そのものを変えることに真摯に取り組むなら、寄付文化に関心を持つ人も増えるだろう。

 しかし、そのためには、寄付者に対しても寄付者が満足できるだけの見返りを用意する必要がある。
 僕は本の印税という自分の所得から寄付してきたが、寄付対象である本を寄付先の団体が団体の公式サイトのトップページやメールマガジンで盛んに応援してくれることはなかった。
 これでは、僕の本を買ってくれた読者たちにも顔向けできない。
 寄付を考えている有名な作家やポップアイコンのミュージシャンに安心して勧めることもできない。

 寄付する側のニーズを寄付先の団体が容易に採用できる仕組みが必要だろう。
 僕は寄付先の団体にそうした具体的な提案をしてきたが、今もって提案は却下されたままだ。
 でも、そうした寄付者のニーズを寄付先団体に可能ならしめるのが、寄付月間の事務局を担っている日本ファンドレイジング協会の通常業務のはずだ。

 前述したように、寄付された団体の活動が、団体から「支援」されてるはずの社会的弱者にとって満足度の高いものかどうも、社会的弱者自身が決めることなのに、イベントでは「蚊帳の外」になっている。
 それも、寄付文化を「みんな」のものにする際の障害だと気づく必要がある。

 政府筋や代理店とからむ前に、寄付したい人や、寄付の恩恵を受ける社会的弱者が足を運びたくなるようなイベントや仕掛けについて再考してもらいたい。
 困ってる当事者に支持されないソーシャル・アクションほど、「意識高い系」として嘲笑され、関心外にされるものはないのだから。

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