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■民主主義って何だ? ~政治家より、きみ自身が社会を作る主権者としての責任を果たすこと

 戦争法案に対する意志表明のデモを見てると、反対派も賛成派も、どちらも民主主義がわかってない印象を持つ。
 そこで、「民主主義って何だ?」というところを、中学生にもわかるように、ちゃんと説明してみよう。
 そもそも近代民主主義って、それ以前の王族のような特権階級による一方的な支配・隷属から逃れたいイギリスやフランスなどの市民たちが、特権階級の人たちをぶっ殺し、「俺たちの社会の仕組みは、俺たち自身が決めるぞ!」という革命によって生まれたものだよね?

 それは、社会のありようを決める責任者が、国民全員になったってこと。



■選挙は、国民の権利行使の一つにすぎない

 社会のありようを決める責任者=国民全員ってこと。
 だから、国民全員が自分の求める社会の姿について自分たち自身で考え、自分たちで理想の社会を作り出す責任を負うことになったんだ。
 それが国民主権の由来だから、その権利行使の一つの手段として、国民のみんなが自分自身の代理人を選んで、投票で決めた人を「みんなの代表」として国会に送り込むことになった。

 もちろん、投票する・しないは自由。
 だけど、選挙の結果を真摯に引き受けるのが主権者の責任だ。
 ただし、選んだ相手が、選挙前に有権者に約束していたことと違うことをやり出したら、怒るのも人情だよね。

 といっても、怒る人が増えたところで、国民の信託を受けた「みんなの代表」は選挙によってしか入れ替えられないのが原則なのよね。
(※とんでもないスキャンダルが報道されて辞職にまで追い込まれない限り、議員が自発的に辞めることは無い)

 選挙は、数年に一度しかない非日常的なものだ。
 だから、選挙と選挙の間にある日常生活の中で、ウソをつかない人間や、誠実に税金を使える知恵を持ってる人間を吟味するのは、主権者である国民の義務になる。
 そうした義務を果たさず、立候補者が掲げる政策にたいした思い入れもなく候補者を選んだり、なんとなく投票しなかったりすれば、喜べない結果や期待外れを招いてしまうよね。
 そして、政治に期待できないと感じる人が増えれば、投票率はどんどん低下していく。

 実際、日本では前の選挙で、戦後最低の投票率を記録した。
 政治に期待しない人や無関心な人が増えてるのは、「自分の代理人である政治家が自分の望む生活や自分の期待する社会を満足に作ってくれない」という失望感が大きいからだろう。
 自分1人が投票しなくても、政治家の仕事によって自分の生活や住む国は大して変わることがないと思う人もいるだろう。


 しかし、政治への関心が薄まっていったからといって、それは主権者としての権利を全部捨ててしまったわけではない。
 そもそも、国民が投票行動を通じて「自分の代理人」を国政の場に送り出すことは、主権の一部を行使しただけ。
 あくまでも国民全員が主権者であり、自分の理想の社会を作る主人公なんだから、自分が毎日やってる仕事を通じて自分自身が求める社会の姿を作り出すのが本筋だろう。

 その本筋を理解できず、「政治家のおまえが真っ先になんとかしろ」という構えでは、「あくまでも自分ではできないことの代理人として政治家に仕事を与えてやってるんだ」という意識すら忘れてしまったことになる。
 というか、戦前・戦後で民主主義の意味が変わったことを、敗戦して憲法を変えた70年前から、教壇に立つ教師も十分に理解していたか、疑わしい。

 戦前は、軍部独裁を許してしまうほどの前近代的なニセモノ民主主義だったけど、戦後は国民主権・平和主義・基本的人権を取り入れた本格的な民主主義になり、先進国とやっと肩を並べられるようになったわけだ。
 でも、それはあくまでも表面的なタテマエだけの話。

 つまり、制度・手続きとしての民主主義が明文化されただけで、その意味するところを多くの国民は理解してなかった。
 というか、民主主義のマインドがピンとこなかったのだ。
 独裁政権があっても、彼らの首を命がけで奪い取って国民主権を勝ち得た歴史など、日本には無かったからだよね。

 経験したことがない民主主義をもらっても、それが自分にとってどんなメリットがあるのか、そして民主主義を維持するためにはどんなコストや義務を負うことになるのかも、多くの国民はわかっていなかった。


 それゆえに教育現場でも十分に教えるチャンスが無かった。
 だから、戦後70年という長い年月を経た今日でも、中学・高校で学級委員を決める時、「安倍くんが良いと思います」「みんなどう思う?」「いいんじゃないスか。パチパチパチ…(拍手)」で決まってしまう。

 生徒会選挙でも、一応、選挙はやるけど、公約で3年間自分がいる学校がどう変わるのかなんて、ほとんどの生徒には関心が無いし、そうした感覚のまま大人になっていくことに、多くの教職者自身が危機感すら抱いてない。
 どこで、戦後民主主義の肝である「国民主権」を実感できるチャンスがあったろうか?
 残念ながら、「ほとんど無かった」と言わざるを得ない。

 だから、選挙になれば、一部のずるい企業や金持ちが自分たちの都合の良い政策を実現すると公約した立候補者に金を渡して支援するし、既得権益を守りたい大企業は保守政党に多額の献金をし、自分たちのビジネスを守ってもらおうとする。
 そこで正論をいくら吠えたところで、潤沢な資金を集めた候補者が選挙対策のプロを雇って当選する傾向は変わらない。


■非日常の選挙より、日常の仕事で主権者責任を果たそう

 もちろん、選挙で勝つには地盤(支持母体)・看板(知名度あるいは広報力)・金庫番(資金力)の3つが必要なので、支持母体や金が無くても、圧倒的な知名度をもつ有名人が勝つこともある。
 だから、当選しやすい有名人を誘って自分の支持政党から立候補させたいと考える人もいるけれど、政治は税金を使って政策を実現させるわけだから、政治家に何かを期待すればするほど、「税金をじゃんじゃん使え」と言ってるのと同じだ。

 そこで国民主権の本来の意義に立ち返るなら、国民自身が社会を作るのに誰にとっても効率的なのは、非日常な選挙やデモ、ボランティアよりも、毎日やってる日常な仕事であることに気づきたいところだ。
 自分の毎日の仕事の内容を、戦争や武装を必要としない平和維持の仕組みを作り出すものにすればいい。

 政治家がどんなに「戦争したい」と考えても、それができない仕組みを民間が作ってしまえば、国家権力の暴走を抑止することができる。
 ありえないことだけど、万が一、中国が日本への侵略攻撃を考えているとしても、中国政府がすぐにそれができない事情は、経済的な成長や覇権獲得のためには「人民元」を国際通貨として世界に信頼されるのが最大・最優先の課題だからだ。

 どこかの国に侵略戦争なんて仕掛けようものなら、「元」の価値は一気に暴落し、中国は孤立し、人民は干上がり、ものすごい数の暴徒たちが国内で反乱を起こす恐れが高まる。
 それだけ、多民族・多言語・多文化の人民をまとめ上げるのが大変な国内問題を常に抱えている中国は、日本も含め、本格的な戦争を仕掛けるなんて、できやしない。

 「外に敵がいるぞ!」と、国民の視線を外に向けて政府への批判をかわすための「治安維持の芝居」が、領海侵犯なのよ。
 つまり、グローバル経済が中国の軍事的な侵略を無力化させているという大きな仕組みが既にあるわけ。
 それを補完するように、民間人どうしがさまざまな形で中国人民の心をつかんでしまえば、争いのタネや動機を奪える。

 戦争できない事情=平和維持の仕組みを、どんどん作ってしまうことが、民間人=国民の主権の発揮どころってこと。
 どんなに軍事力があろうとも、それをどうしても使えない仕組みを民間で作ってしまえば、自国や相手国の政府(国家権力)の暴走を食い止められるチャンスはあるってことなんだよ。
 現時点では、文化・外交・経済の3面で、政府が仮想敵国として考えている国に対して「相手国を攻撃すれば自国も成り立たない」という仕組みを互いに作ることが有効だと指摘する向きが多い。

 文化面では、外国人に強く愛される作品を作って輸出・輸入したり、両国のアーチストがネットで発表し合うなどが考えられる。
 映画・音楽・演劇・アート・ゲーム・アニメなど、愛される日本製は山ほどあるし、若者の憧れなんだから、もっと売る仕組みを作る必要もあるだろう。
 経済面では、相手の国が切実に苦しんでるさまざまな社会的課題を解決する仕組みを提供すること。
 公害問題・農村部の貧困・障害者の就労などの課題に対して、日本にはすでに解決実績のある技術やプロがたくさん。
 都市部には子育てを助け合う仕組みも必要だろうし、介護・観光などは日本の繊細なサービスで地域活性にもつながる。
 外交面では、修学旅行やスポーツの親善試合などを両国間で何倍にも増やしてしまえばいい。

 お互いに相手のことを知ら無すぎることは、それ自体が偏見や憎悪を育ててしまうからね。
 そういう意味では、互いに国を往復して一緒に遊ぶチャンスを増やすだけでも、憎めない間柄を築けるだろう。
 社会は、政治という代理人たちと、民間人という主人公の両者が作るのだから、民間人の僕ら市民が主権者として他国との平和を維持できる仕組みを自分の仕事で作り出さないでどうするよ?

 僕らができる平和維持の仕組みの作り方は、他にもたくさんある。
 自分の職場での仕事と「仮想敵国」を上手に結びつける仕組みを作ればいいんだから。
 仕組み作りについてのいろんな事例は、『社会起業家に学べ!』(アスキー新書)や『ソーシャルデザイン50の方法』(中公新書ラクレ)、『よのなかを変える技術』(河出書房新社)などの本にも書いた。
 そして、すでにソーシャルデザインや社会起業を知った人は、そのように仕事を通じて社会的課題の解決を進めてる。

 民間で市民が社会を変えられるすごさに気づいた若い世代は、もう学校や本でそれらの事例を学んでる。
 すでに多くの成功事例が、日本を含めて世界中にあふれ、世界的なムーブメントになってるからだ。
 実際、費用対効果の良い課題解決の仕組みを作るのは、政治家や官僚より、民間の市民の方がはるかに上手いしね。

 それでも、自分の頭で自分の暮らしたい社会を想像すらしない人は、周囲の熱い空気に流される。
 デモにたくさん人が集まってるのをテレビや新聞、ネットなどで見て、「自分もデモに参加すれば何かが変わるかも…」と、根拠のない期待に簡単に心を奪われてしまう。
 「政治的関心が無かった自分が悪いのだから、政治に関心を向ければいい」という単純な図式に飲み込まれる前に、このブログ記事を最初から読み直してみてほしい。

 関心をもつべきは、社会を作る責任者が自分であり、自分の仕事の成果だってこと。
 それがちゃんと理解できたなら、「そっか、自分が仕事を通じてどうしてもできないことだけを、自分の代理人である政治家に求めれば、彼らの仕事や存在意義を減らし、その分だけ税金を使うことや権力に居直ることを減らせるんだな」とピンとくるはずだ。
 そこでようやく、「どうせ代理人を国会に送るなら、きちんと選ばなきゃ」という確かな気持ちが生まれ、投票を動機づけるんだよ。

 投票率を上げたいのなら、毎日の仕事によって良い社会を作ることが必要不可欠なんだ。
 でないと、社会に対する関心も、政治的関心も、持続なんか、しないでしょ。
 自分が生きてるこの社会をリアルに実感したいなら、政治によって代理人に勝手なことをさせる前に、きみ自身が自分の毎日の仕事を通じて平和維持にとって貢献できることを具体的に考えよう。
 そこで、思考停止さえしなければ、そこからきみの人生は今よりもっと意味のあるものになっていくし、そのことによって本物の国民主権が日本に根付いていくのだから。



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